「これで終わりじゃない。」
~ MLBタンパベイ・デビルレイズ 野茂英雄投手 日米通算200勝達成後のインタビューで(2005年6月15日(水))
言うまでも無いことですが、今日の日本人大リーガーの隆盛の道を切り拓いた選手です。数々の栄光とともに数々の挫折をも経験してこられた人の、そういう人だからこその意味のある言葉です。
野茂英雄は社会人野球から日本のプロ野球にドラフトされるときに、8球団程度が競合して史上最高の激戦になった抽選を経て、地元、大阪の球団である近鉄バッファローズに入団します。そして新人でいきなり20勝、エースの座に就いた彼はその後も大活躍。あまりスポットライトの当たることのなかったパリーグでひたむきに投げ続けました。
その彼が1995年、アメリカに渡りました。メジャーリーグへの挑戦です。西海岸のロサンジェルス・ドジャースに加わりました。
多くの人が否定的な思いだったのではないでしょうか。なにしろ当時の段階で、(マッシー村上以来)もう20年くらい、日本人メジャーリーガーは出ていなかったのですから、そう思っても仕方ないでしょう。2年に一度程度シーズン終了後に殆ど観光気分で来日する、オールスター(と呼ばれた)プレーヤー達とのゲーム以外、物差しもなかったのです。
そんな1995年の春、私はニューヨークにいました。6月に入ると、私は2年間を過ごしたNYを離れて、テキサス州ダラス市郊外へと移り住むことになっていました。愛着のあるNYでの生活も残り僅かとなったある日、初夏の日差しが西へ傾く中、ビールを飲みながらTVで地元ニューヨーク・メッツの試合を見ていたら、それは対ドジャーズ戦で、その先発のマウンドには、彼、そう、野茂英雄がいました。遂に日本人が投げている、野茂英雄が投げている。感動しました。この巡り合わせに感謝しました。そして、なんと偉大な男かと、思いました。
メジャーリーグは前年、長期のストライキを経験し、人気が凋落していました。そんな時に現れた野茂は、大方の予想を裏切って、徐々に快投を見せ始めました。東洋から一人海を渡って来て、トルネード(tornado = 竜巻)と名づけられた独特の投球フォームを操る野茂は、文字通りアメリカに旋風を、爽やかな旋風を巻き起こしつつあったのです。
間もなく私はテキサスへ移り住みます。ダラスの隣にアーヴィングという町があり、そこに住むことにしました。アメフト(NFL)のダラス・カウボーイズのホームタウンで、非常に小奇麗な町でした。(ホームグラウンドであるテキサス・スタジアムは目と鼻の先でした。)私の職場は、さらにその隣のアーリントンという町で、そこにはメジャーリーグのテキサス・レインジャーズの本拠地(ボールパーク・イン・アーリントン Ballpark in Arlington)がありました。(余談ですが、確か界隈に現ロッテ監督のボビー・バレンタイン氏のレストラン(Bobby Valentine's Sports Gallery Cafe)もあって、一度行った記憶があります。)
6月中は一時帰国、アパート探し、引越し、新生活の準備等をして過ごしました。その間、研修もありました。そして初めて職場に出勤したのは7月10日月曜日でした。期待とともに不安も抱えながらの新生活の始まりとなりました。
翌日、メジャーリーグはオールスターゲームでした。しかもボールパーク・イン・アーリントンで。そして彼、野茂英雄はそこに現れたのです。
6月に入って遂に快進撃を始めた彼はオールスターの一員に選ばれ、その上、ナショナル・リーグの先発投手に選ばれるという栄誉を受けたのです。
私が見知らぬ土地、テキサスで仕事を始めた翌日、野茂英雄がすぐそばの球場で行われたオールスターで先発した、というのは単なる偶然で、他の人には何の意味もないでしょう。
でも、私は、感激しました。勝手に、縁を感じました。
以来、彼はメジャーに踏みとどまっています。輝かしいルーキーシーズン、両リーグでのノーヒットノーランという大偉業、等々、華々しい活躍の一方で怪我や不調、解雇にマイナー契約等々、色々なことがありましたが、彼はその度に立ち上がってきました。
私もその間、転職したり、独立したりと色々なことがありましたが、彼が頑張っている姿には、いつも力づけられたと思います。彼はよく喋る方ではなく、彼の肉声が届けられることは非常に少ないですから、その意味では彼のその生き様が力をくれていると言えましょう。
私のように、彼から力をもらっている人は大勢いるのでしょうし、それを思うと、つくづく凄い人です。また、彼が社会人のクラブを作ったりして仲間や後輩の力になっているというようなエピソードも素晴らしいことと思います。(彼はモータースポーツには興味無いのでしょう。) 日本人選手のメジャー進出の道を切り拓いたパイオニアとしての功績もあまりにも偉大です。彼がいなければイチローも松井秀喜もまだあの場にはいなかったかもしれないのです。(ドジャース時代の女房役、ピアッツァ捕手(現メッツ)も、野茂への賛辞として同じことを言ってました。)
一人の人間としての質の高さを感じます。
彼はまだまだ現役生活を続けるようです。往年の速球はもはや影を潜めましたが、他の球種や緩急、駆け引きに活路を見出そうとしているのでしょうか。頑張って欲しいです。
自分も頑張らなくてはと思います。
そして野茂のように大勢でなくても、せめて周りの幾人かの人を力づけられるような存在でありたいと思います。
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